沿 革


   中島寺の歴史は、室町後期、水谷藤兵衛尉 玄永が蓮如上人に帰依し、京都山科小野ノ庄で善正坊を文明17年(1485)に創建したことに始まります。
  明応6年(1497)、善正坊を伊勢長島種村(間々村)東端に移創し、一族共々移住いたします。水谷藤兵衛の子息 水谷兵右衛門 満保こと玄浄は、蓮如上人六男 蓮淳法印に随行し、長島 願証寺の守護として長島へ。法難 長島一向一揆(1571~1574)を生き延びるも、天正7年(1575)9月28日 大坂本願寺石山合戦での広芝口にて討死、還浄いたします。
  玄浄の嫡男 祐浄は、多くの御門徒達と共に長島に帰り堂宇を再建しますが、天正13年(1585)の天正地震による本堂等の倒壊により、ご縁のあった原 隠岐守により寄進された現在の地へ御門徒と共に移転し、寺号を善正寺といたしました。
  江戸時代に入り、延宝3年(1675) 善正寺から中島寺に藩命による寺号の変更、飢饉や天災、明治維新や太平洋戦争、戦後の高度成長等長い歴史の中で、様々な門信徒各位とご縁を深め、幾多の困難をお念仏の教えと共に超え、現在まで相続がなされてきました。 

長島六坊 紫雲山 善正院

中 島 寺